2003年3月3日、冗談のようなこの日、早期退職をした。その後タイへ「なんちゃって移住」、ホームページを作っていたが、かったるくなりブログへ移行。
2015年9月、タイ最後の地チェンマイに引っ越す、しかしチェンマイは田舎者にはあまりの都会で戸惑い中、やっぱり田舎の方がいいや。
2016年3月、12年数カ月住んだタイ国を離れ帰国、おとなしく日本に定住出来るのか(笑)
2015年9月、タイ最後の地チェンマイに引っ越す、しかしチェンマイは田舎者にはあまりの都会で戸惑い中、やっぱり田舎の方がいいや。
2016年3月、12年数カ月住んだタイ国を離れ帰国、おとなしく日本に定住出来るのか(笑)
2019年11月11日月曜日
2013年7月25日木曜日
イサーン(2013年7月16日~25日)
往路(2013年7月16日~20日)
復路(2013年7月21日~25日)
7月16日 | トラン ⇒ ペブリ | 737Km | 19日 | ロイエット ⇒ ウボン | 194Km |
17日 | ペブリ ⇒ コラート | 482Km | 20日 | ウボン | 85Km |
18日 | コラート ⇒ ロイエット | 313Km |
7月21日 | ウボン ⇒ ブリラム | 242Km | 24日 | ラヨン ⇒ ラートクラバン | 259Km |
22日 | ブリラム ⇒ ラヨン | 468Km | 25日 | ラートクラバン ⇒ トラン | 905Km |
23日 | ラヨン | 45Km |
2012年12月29日土曜日
イサーン(東北地方)+カンチャナブリ
車でロイエット往復、ついでにカンチャナブリを周りました。
走行距離 4,068Km ガソリン 253L 9、200バーツ
往路(2012年12月19日~21日)
復路(2012年12月23日~29日)
走行距離 4,068Km ガソリン 253L 9、200バーツ
12月19日 | トラン ⇒ パチュアップキリカン | 25日 | スパンブリ ⇒ サンクラブリ |
20日 | パチュアップキリカン ⇒ ナコンパトム | 26日 | サンクラブリ |
21日 | ナコンパトム ⇒ ロイエット | 27日 | サンクラブリ |
22日 | ロイエット | 28日 | サンクラブリ ⇒ ラートクラバン |
23日 | ロイエット | 29日 | ラートクラバン ⇒ トラン |
24日 | ロイエット ⇒ スパンブリ |
復路(2012年12月23日~29日)
2012年8月10日金曜日
イサーン(2012年7月31日~8月10日)
車でイサーンを周って来ました、走行距離 3,462Km
往路(2012年7月31日~8月5日)
復路(2012年8月7日~10日)
7月31日 | トラン ⇒ パチュアップキリカン | 8月6日 | ノンブアランプー |
8月 1日 | パチュアップキリカン ⇒ ラートクラバン | 7日 | ノンブアランプー ⇒ サラブリ |
2日 | ラートクラバン | 8日 | サラブリ ⇒ ラートクラバン |
3日 | ラートクラバン ⇒ ロイエット | 9日 | ラートクラバン ⇒ パチュアップキリカン |
4日 | ロイエット ⇒ ウドン | 10日 | パチュアップキリカン ⇒ トラン |
5日 | ウドン ⇒ ノンブアランプー |
復路(2012年8月7日~10日)
2011年12月25日日曜日
2011年12月23日金曜日
2011年12月23日 イサーン(東北地方)
今日はロブリにあるWat Khao Samo Khonというお寺にあるらしい大きなハヌマーン像を見てロブリかサラブリ泊まりという予定、距離も短いしと途中で目に付いたお寺などチンタラ見物しながら移動したのが祟って目的のお寺に着いたのは日没間近、じっくり見て周れば面白そうなお寺なのですが、今日のホテルも決まっているわけではないので、いつの日か再訪する事にしてロブリへ、お寺の周り一面の水、まだ洪水の水が引ききっていないようだ、ロブリではLopburi Innに泊まってみた、ロブリに来るたびホテル前のサル軍団を目にするのだが泊まった事はない、カウンターのお姉さんが提示する部屋の料金表と言い値が半額、二重価格(タイ人外国人)なのか?それともプロモーションで半額にしているのか? 料金表なら泊まらないけど半額だったんで泊まった(笑)
2011年12月22日木曜日
2011年12月22日 イサーン(東北地方)
ホテルの部屋がメコン側なので朝早起きしてベランダでコーヒーを飲みながらラオスから昇る朝日を見る。
今日はメコン沿いに北上してノンカイから南に下りるって予定だ、新しく出来たブンカン県に何か目新しい物でもないかと期待したのだが、道路標識も「いらっしゃいませ門」もなかった、ブンカンの川岸で食べたガイヤン(焼き鳥)も酷くてボラれたとしか思えない。
今日はメコン沿いに北上してノンカイから南に下りるって予定だ、新しく出来たブンカン県に何か目新しい物でもないかと期待したのだが、道路標識も「いらっしゃいませ門」もなかった、ブンカンの川岸で食べたガイヤン(焼き鳥)も酷くてボラれたとしか思えない。
2011年12月21日水曜日
2011年12月21日 イサーン(東北地方)
朝コンケン経由でピサヌロークへ行くKさんをバスターミナルに送り、本日の宿泊予定地のナコンパノムへ向かう、タートパノムに入った所の市場でガイヤン(焼き鳥)ともち米を買って川岸で昼食、その後川に沿って北上して行くと民家のような所にピンクのガネーシャ発見、大して大きくもないんだかピンクで目立つ、その後いくつかお寺に寄ってナコンパノム到着、ホテルにチェックインする前に出来たばかりの「第三友好橋」を見に行く。
2011年12月20日火曜日
2011年12月20日 イサーン(東北地方)
昨日午後、まだ私の住民票が日本にあった頃、時々タイ料理店で会っていた一人が年末年始をタイ・ラオスで過ごすと来タイ、ロイエットで落ち合った、そのKさんとロイエット近郊の地獄寺などを観光。
夕飯はKさん共々ロイエットの知人宅でイサーン料理、ご馳走様でした。
夕飯はKさん共々ロイエットの知人宅でイサーン料理、ご馳走様でした。
2011年12月19日月曜日
2011年12月19日 イサーン(東北地方)
今日もUさん、Yさんにくっついてカラシン県カオウォンという所にある学校訪問です、日本人女性が日本語を教えています。
学校に着いて少したったところで朝会も終わり、生徒達がY元先生に挨拶などしてテレテレと校舎に入って行きます、我々も案内されて校舎へ、そこで日本語を教えている日本人女性にお会いしました、久末眞紀子さん、セブンサミッターなんですって、すごいなぁ、ブログはこちら。
セブンサミッターなんてのは無理中の無理なんで、せめてワンサミッター(笑)ぐらいになりたいなぁ。
学校に着いて少したったところで朝会も終わり、生徒達がY元先生に挨拶などしてテレテレと校舎に入って行きます、我々も案内されて校舎へ、そこで日本語を教えている日本人女性にお会いしました、久末眞紀子さん、セブンサミッターなんですって、すごいなぁ、ブログはこちら。
セブンサミッターなんてのは無理中の無理なんで、せめてワンサミッター(笑)ぐらいになりたいなぁ。
2011年12月18日日曜日
2011年12月18日 イサーン(東北地方)
マハサラカムの日本語教師のUさんと元日本語教師のYさんがロイエット郊外のノンポークという所に住んでおられるKさんを訪ねるとの事なのでご一緒させて頂く事に。
ポントンのガソリンスタンドで待ち合わせKさん宅へ、イサーンへ来られた経緯や地元の学校に楽器を寄付されたお話などを伺う、庭の東屋でお昼をご馳走になっている席で、ポントンにお住まいの日本人女性が来られると聞き、ン、と思いその女性に尋ねてみた、「何年か前、こちら方面に向かうバスで偶然日本人が3人乗っていたんですが、その時の?」、お互い顔は覚えていないもののその事はよく覚えていた、彼女のご主人は私の事を覚えているという、全くの奇遇。 イサーンのKさんブログ、偶然バスに乗り合わせた女性のブログ
Kさん宅からの帰り、途中にあった門が気になったので寄ってみる、製作途中だが中々の門、しかしお寺には何もなかった、その後UさんもYさんも来た事がないというのでポントンのビン寺に寄る。
夕飯はYご夫妻とイサーン料理。
ポントンのガソリンスタンドで待ち合わせKさん宅へ、イサーンへ来られた経緯や地元の学校に楽器を寄付されたお話などを伺う、庭の東屋でお昼をご馳走になっている席で、ポントンにお住まいの日本人女性が来られると聞き、ン、と思いその女性に尋ねてみた、「何年か前、こちら方面に向かうバスで偶然日本人が3人乗っていたんですが、その時の?」、お互い顔は覚えていないもののその事はよく覚えていた、彼女のご主人は私の事を覚えているという、全くの奇遇。 イサーンのKさんブログ、偶然バスに乗り合わせた女性のブログ
Kさん宅からの帰り、途中にあった門が気になったので寄ってみる、製作途中だが中々の門、しかしお寺には何もなかった、その後UさんもYさんも来た事がないというのでポントンのビン寺に寄る。
夕飯はYご夫妻とイサーン料理。
2011年12月17日土曜日
2011年12月17日 イサーン(東北地方)
ペブリを朝早く出てスワンナプームへ寄ってコンケンへ。
コンケン大学に通う知人の息子に会いに大学へ行く、この大学がやたら広くて一つの町になっている、隣の飛行場四つ分程もある広さなので迎えに来てもらい、構内のガイヤン(焼き鳥)のお店に案内してもらう、やはり本場イサーンのもち米は旨い、トランとは大違い。
その後、マハサラカムへ向かう、マハサラカムには日本語教師をされている方がおり、以前イサーン各地で日本語教師をされていた方も来られるとの事でお会いするのを楽しみにしていた、途中マハサラカムの方から電話があり、大学の卒業式があり、どこのホテルも満員らしい、土地勘のないマハサラカムより以前住んでいたロイエットでホテルを確保した方がいいだろうとロイエットのホテルへ向かう。
ロイエットも以前より数段車が増えたようだが、マハサラカムの賑やかになったのには驚いた。
コンケン大学に通う知人の息子に会いに大学へ行く、この大学がやたら広くて一つの町になっている、隣の飛行場四つ分程もある広さなので迎えに来てもらい、構内のガイヤン(焼き鳥)のお店に案内してもらう、やはり本場イサーンのもち米は旨い、トランとは大違い。
その後、マハサラカムへ向かう、マハサラカムには日本語教師をされている方がおり、以前イサーン各地で日本語教師をされていた方も来られるとの事でお会いするのを楽しみにしていた、途中マハサラカムの方から電話があり、大学の卒業式があり、どこのホテルも満員らしい、土地勘のないマハサラカムより以前住んでいたロイエットでホテルを確保した方がいいだろうとロイエットのホテルへ向かう。
ロイエットも以前より数段車が増えたようだが、マハサラカムの賑やかになったのには驚いた。
2011年12月16日金曜日
2011年12月16日 イサーン(東北地方)
イサーンへ出発です、昨日からの雨が今朝も降っています、今日はペブリまでの予定、途中ホアヒンのバイクの部品屋(?)に寄る事にしています、Waveに付けているトップケースのキャリアーがとても頼りないのです、Waveを買った時カタログにキャリアーがあったので、実物が見たいんだけどって言ったら、注文だから現物はないって言われ、200バーツだし、って注文した、マレーシアに行って帰って来たらちょっと歪んでる、やっぱりもっと頑丈なやつじゃないと駄目だな、ここトランじゃそんな物売ってないんで、そこらの鉄工所でオーダー出来るか訊いてみた、どこも出来ないって返事、作れないって事じゃなくて、双方で割りに合わないって事、マレーシアでは500バーツ程で売ってたんだけど取り替えてくれば良かった、そんで、しょうがないんでネットで探して見た、バンコクならあるんだけど、ここの周りにはない、Wave用があるかはちょっと判らないんだけどそんな物を取り扱っている店がホアヒンにあった、ま、なかったら、バンコクから通販にするかマレーシアに買いに行ってこよう、キャリアー買いにマレーシアに行くやつっているか(笑)。
トランからチュンポンを過ぎる頃まで雨が続きます、時折豪雨でノロノロとしか走れない程、さすが無茶なタイ人も先が全く見えないので追い越して行く車はありません、何でこんなに降るんだ。
パチュアップあたりから雨は止み曇り空、エアコンなしでも車内は暑くならず快適、ホアヒンのお店を見付ける事が出来ず諦めてペブリへ、ペブリではいつもの安宿、一階にPCが3~4台並んでWiFiが使えるようになった、でもその周りだけで階上は使えない、まあ、ちょっとは進歩したようだ。
トランからチュンポンを過ぎる頃まで雨が続きます、時折豪雨でノロノロとしか走れない程、さすが無茶なタイ人も先が全く見えないので追い越して行く車はありません、何でこんなに降るんだ。
パチュアップあたりから雨は止み曇り空、エアコンなしでも車内は暑くならず快適、ホアヒンのお店を見付ける事が出来ず諦めてペブリへ、ペブリではいつもの安宿、一階にPCが3~4台並んでWiFiが使えるようになった、でもその周りだけで階上は使えない、まあ、ちょっとは進歩したようだ。
2011年8月31日水曜日
2011年8月 後半
18日: さて、イサーンへ出発です、今日はスラタニ泊まりなので急ぐ事もないのでゆっくりです。
いつもの道を北上し「Wat Khao Suwan Pradit」を目指します、以前、このあたりをウロウロしていて、門から中を覗いて、何もなさそうなので入らなかったお寺です、どうもミイラがあるらしいので確かめに行くのです。
19日: 今日はホアヒンの手前にあるWat Tham Khao Taoに参拝して、Khao Takiap泊まり
20日: Khao Takiap ⇒ ペブリ ⇒ サムットソンクラム ⇒ コラート
カオタキアップからホアヒン市内にある「PlearnWan」へ、ここは昔のタイの町並みを再現したという「タイの明治村」、開園前なので観光客もいなくて結構なのだがお店もあまり開いていない、まあ観光客がウジャウジャいるより閑散としていた方が私的には良い、11時開園(開店)、入場無料。
その後、ペブリの「タイソンダム」へ、ここは「タイ国政府官公庁」のホームページで見たので行ったんだ、小さな声で言うんだけど「行って損した、行かなければ良かった」って所、写真にあるのが全て、「彼らの音楽やダンス、住居、生活様式を見学することができます」ってあるけど、本当か?、ま、いいや、次はサムットソンクラムにある、「シャム双生児」の語源となったインとチャンの銅像、彼らの生まれ故郷はここなのかな?
そして、目的地のイサーンへ。
21日: コラート ⇒ マハサラカム ⇒ ロイエット
22日: ロイエット
ロイエットには3年も住んでいながらマレーンポーさんのブログで知った地獄寺へ、途中で住んでいた時にはなかったチェディーがあったので寄ってみる、地獄寺へ着くと受付の様なテーブルにいたおじさんが案内してくれると言う、それぞれのコンクリ像に賽銭箱があってコインを入れると「痛いよ~、助けて~」ってな音が出る、1体づつ入れて行ったら両替した40Bも手持ちの1Bコインもなくなってしまった、かなりの数があるんだね。
その後、ポントンにあるらしい、瓶寺+地獄像を探しに、一寸うろうろとしたが無事到着、残念ながら写真の2体だけでした、瓶の方は他の瓶寺と違って瓶そのままではなく、切ってタイルの様な使い方で出きていました、瓶の数は少なくて済むのでしょうが手間が大変そう。
23日: ロイエット ⇒ スリン ⇒ シーサケット
本日はロイエットのお寺を2寺、1つは再訪を回ってスリンの象村へ行く、ロイエットに住んでいた時に訪問したお寺「Wat Pa Non Sawan」は当時地獄はなかったのだけれど、奥の方に作った様だ、まだ作業中の物もあったのでまだまだ作られるらしい、象村への途中で大きな仏像があったので入って見る、瓶で作られた建物があった、大きなお寺らしく、かなり奥がありそうなのだが時間がないので次回にして先へ進む、象村の入場料、外国人200B、免許証でタイ人価格100Bに、双子の子象がいると聞いていたんだけど、それを訊くのを忘れてしまった。
24日: シーサケット ⇒ スリン ⇒ ブリラム ⇒ サケオ
シーサケットの100万本の瓶を使って作ったという瓶寺へ、以前ソンクラーの瓶寺へ行ったが、こちらの方が見ごたえがある、スリン、ブリラムを通ってサケオ(アランヤプラテート)へ、途中お祭りか何かの横断幕に大きな象の写真のあるお寺があったので行って見る、この手の幕の写真には手が加えられている物が多く、行って見るとがっかりさせられる事がしばしばなのだが、ここのは大きかった、お堂を囲む3方の門にするらしく、他の2頭は作業中だった、4方とも象さん門にすればいいのに。
25日: サケオ ⇒ チャチュンサオ ⇒ チョンブリ
サケオに「Monument of Heroes Air Force」と言う碑があるのをネットで知った、写真も説明もないので、どんな碑なのかわからなかった、それは辺鄙な所にポツリとあったのだが説明がタイ語なのでやっぱりわからなかった、以前「FIRST FLIGHT」と言う映画があった、そんな碑なのかも知れない。
「Wat Pho Bang Khla」はアユタヤの「Wat Thasung Thaksinaram」と同様、ここには多数の亀もいた、チャチュンサオの立っているガネーシャは今だ建設中、いつ完成するんだろうか?、ピンクのガネーシャには多数の参拝客がいた、ここのはナコンナヨックのより大きいのか?、その後大勢の参拝客で賑わう「Wat Sothon」に寄って、チャチュンサオの地獄寺「Wat Chom Pho Tha Yaram」へ、大して大きそうなお寺ではないのだが、見回してもそれらしき物は見えない、あちこち写真を撮ってトイレへ、そこにありました、残骸が、どうして残骸になってしまったのかは聞き漏らしましたが、近い将来に地獄が復活するようで、お坊さんにその設計図(絵?)を見せて貰いました、乞うご期待です。
26日: チョンブリ ⇒ チャチュンサオ ⇒ バンコク
28日: バンコク ⇒ パチュアップキリカン25日に行ったピンクのガネーシャの入り口に上記のような広告があった、座っているガネーシャの下に、何やら大きそうな物の工事の写真がある、ひょっとしたらと思い写真に撮っておいた、場所などはネットで確認出きている、今日から南へ帰るのだが、気になるのでここへ寄ってみる事にする。
それで、わざわざ寄ったのがこの「Wat Phrong Akat」、ちっちゃいガネーシャしかなかった、工事の写真はここの基礎工事らしい、がっかり。
気を取り直して帰り道、水牛の頭蓋骨が山積みになっている「Wat Hua Krabue」へ、丁度市の日らしく屋台が沢山出ている、ベンツなどボロ車も沢山あった、どうするんだ?、その後「Prince Chumphon Boat Shrine」へ寄る、この場所とチュンポン王子とどういう関係があるんだかはわからない。
29日: パチュアップキリカン ⇒ チュンポン ⇒ トラン
4号線沿いにあった看板、グーグルマップ等ではsaphli周辺にこの名前のお寺は見付ける事は出来なかった、多分これから建設するのだろうけど、ホアヒンの「Wat Hauy Mongkhol」より大きいのか?そうだとしたら見ごたえがあるぞ。
クリックお願いしますね。
いつもの道を北上し「Wat Khao Suwan Pradit」を目指します、以前、このあたりをウロウロしていて、門から中を覗いて、何もなさそうなので入らなかったお寺です、どうもミイラがあるらしいので確かめに行くのです。
19日: 今日はホアヒンの手前にあるWat Tham Khao Taoに参拝して、Khao Takiap泊まり
20日: Khao Takiap ⇒ ペブリ ⇒ サムットソンクラム ⇒ コラート
PlearnWan | Thai Song Dam | In-Chan Siamese Twins Memorial | Wat Maha Wihan | Thetsaban 5 Market |
その後、ペブリの「タイソンダム」へ、ここは「タイ国政府官公庁」のホームページで見たので行ったんだ、小さな声で言うんだけど「行って損した、行かなければ良かった」って所、写真にあるのが全て、「彼らの音楽やダンス、住居、生活様式を見学することができます」ってあるけど、本当か?、ま、いいや、次はサムットソンクラムにある、「シャム双生児」の語源となったインとチャンの銅像、彼らの生まれ故郷はここなのかな?
そして、目的地のイサーンへ。
21日: コラート ⇒ マハサラカム ⇒ ロイエット
マハサラカムのイサーンのへそ(core Isan)と呼ばれている何なんだか判らない建物。 |
22日: ロイエット
Chedi Mahamong khon Bua | Wat Pa Thewa Phithak Pracha Bamrung | Wat Ban Non Sawan |
その後、ポントンにあるらしい、瓶寺+地獄像を探しに、一寸うろうろとしたが無事到着、残念ながら写真の2体だけでした、瓶の方は他の瓶寺と違って瓶そのままではなく、切ってタイルの様な使い方で出きていました、瓶の数は少なくて済むのでしょうが手間が大変そう。
23日: ロイエット ⇒ スリン ⇒ シーサケット
Wat Prachak Manaram | Wat Pa Non Sawan | Wat Phraphutthabat Phanom Din | Elephant Study Center | Servant Rial 3 Market |
24日: シーサケット ⇒ スリン ⇒ ブリラム ⇒ サケオ
シーサケットの100万本の瓶を使って作ったという瓶寺へ、以前ソンクラーの瓶寺へ行ったが、こちらの方が見ごたえがある、スリン、ブリラムを通ってサケオ(アランヤプラテート)へ、途中お祭りか何かの横断幕に大きな象の写真のあるお寺があったので行って見る、この手の幕の写真には手が加えられている物が多く、行って見るとがっかりさせられる事がしばしばなのだが、ここのは大きかった、お堂を囲む3方の門にするらしく、他の2頭は作業中だった、4方とも象さん門にすればいいのに。
25日: サケオ ⇒ チャチュンサオ ⇒ チョンブリ
Monument of Heroes Air Force | Wat Pho Bang Khla | ガネーシャ@チャチュンサオ |
Wat Samanrattanaram | Wat Sothon Wararam Worawihan | Wat Chom Pho Tha Yaram |
「Wat Pho Bang Khla」はアユタヤの「Wat Thasung Thaksinaram」と同様、ここには多数の亀もいた、チャチュンサオの立っているガネーシャは今だ建設中、いつ完成するんだろうか?、ピンクのガネーシャには多数の参拝客がいた、ここのはナコンナヨックのより大きいのか?、その後大勢の参拝客で賑わう「Wat Sothon」に寄って、チャチュンサオの地獄寺「Wat Chom Pho Tha Yaram」へ、大して大きそうなお寺ではないのだが、見回してもそれらしき物は見えない、あちこち写真を撮ってトイレへ、そこにありました、残骸が、どうして残骸になってしまったのかは聞き漏らしましたが、近い将来に地獄が復活するようで、お坊さんにその設計図(絵?)を見せて貰いました、乞うご期待です。
26日: チョンブリ ⇒ チャチュンサオ ⇒ バンコク
クロンスワンの100年市場、100年って言うけど実際はどれくらいなの?って訊いてみた、100年以上は間違いないけど良くわからないっておばあちゃんが言ってた。 |
28日: バンコク ⇒ パチュアップキリカン25日に行ったピンクのガネーシャの入り口に上記のような広告があった、座っているガネーシャの下に、何やら大きそうな物の工事の写真がある、ひょっとしたらと思い写真に撮っておいた、場所などはネットで確認出きている、今日から南へ帰るのだが、気になるのでここへ寄ってみる事にする。
Wat Phrong Akat | Wat Hua Krabue | Prince Chumphon Boat Shrine |
気を取り直して帰り道、水牛の頭蓋骨が山積みになっている「Wat Hua Krabue」へ、丁度市の日らしく屋台が沢山出ている、ベンツなどボロ車も沢山あった、どうするんだ?、その後「Prince Chumphon Boat Shrine」へ寄る、この場所とチュンポン王子とどういう関係があるんだかはわからない。
29日: パチュアップキリカン ⇒ チュンポン ⇒ トラン
ミイラで始まりミイラで終わるこの旅、最終はチュンポンのミイラ
イサーンの旅無事終了 : 走行距離 4,338Km ガソリン 309.3L ガソリン代 10,860バーツ
手配写真
世界最大の像とあるこのお寺の詳細をご存知の方いらっしゃいませんか?
4号線沿いにあった看板、グーグルマップ等ではsaphli周辺にこの名前のお寺は見付ける事は出来なかった、多分これから建設するのだろうけど、ホアヒンの「Wat Hauy Mongkhol」より大きいのか?そうだとしたら見ごたえがあるぞ。
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